神のみぞ知るカニの味噌汁

ADHDの僕のみぞ知る世界。

ADHDと体力

お久しぶりです。

 

ADHDと体力について書こうと思います。

 

最近しみじみとADHDは体力勝負なところがあるのではないかな、と思います。

体力をきっと人より使い過ぎてしまう局面が多く、

ふとした瞬間に体力が尽きてしまい動けなくなると言うことが

僕の場合良くあります。

 

もう少し言うと、

学期のはじめなどは意識が高く、頑張り過ぎてしまい、

 ADHDの特徴もそれほど出ずにカバーできるので、

たくさんのものに手を出し、手を広げてしまいがちです。

しかし、6月頃には体力が尽きてしまいます。

 

これはほんと毎年僕に起こっていることで、なんとかしないとと思い続けていましたが、年々酷くなってきています。

 

また、夜なかなか興味のあるものをやめられず夜更かしをしてしまいがちなのも特徴的なのかなと思います。

Youtubeを開いたら最後気づいたら朝だった。

本を読んでたら気づいたら朝、

ゲームしてたら気づいたら朝、、、。

この前は、急ぎではないレポートを何故か徹夜でやってしまい、

次の日が悲惨なことになったこともありました。

 

そこで、そんな現状を解決するために思ったのが体力強化です。

学校の帰り道10分くらい公園に寄って軽い運動をして帰るようになりました。

そこで滑り台や雲梯、登り棒などが一体になっている遊具を使って

30秒ぶら下がる、斜め45度になってゆるい腕立て...なんかをしています。

これをすると夜何かに夢中になってねれなかったと言うようなことが減りました。

あと、精神的な疲れがだいぶ減ったように思います。

これは運動の成果なのか、夜、少し公園でリラックスしているからなのかどちらかわからないのですが、

ここのところ少し調子が良いです。

 

と言うわけで、さようなら。

ADHDと身につけるべき力

ADHDの人と身につけるべき力。

ADHDは障がいというほどですから、デメリットが目立ちます。

デメリットがあるということは、それに対処するべき方法を身につける必要があります。

そこで、今日はこんなことを身につけたら楽になるんじゃないかな、と思ったことを書き連ねていきたいと思います。

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ADHDにとってのタスクの見え方

 

タイトルがいつもと違って長いですね。

ADHDにとって、タスクの見え方って、どんな感じなのでしょうか。

 

僕の感覚で、幾つかのパターンを書きます。

  1. 明確に把握できているパターン→成功
  2. 見えていないパターン→失敗
  3. 幾つものチャンネルが同時に見えているパターン→失敗
  4. 見えているけれど、把握していないパターン→失敗

こんな感じだと思います。

 

順に説明していこうと思います。

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ADHDと自炊

ADHDと料理って相性悪いですよね。

まず何を作るかを考え、見通しを立てて、そしてじんわりと頭の中で効率の良い順序を組み立てて、それ通り実行する。

もちろん一つの加工をしている間に別のものも同時に加工することも多くあるので、マルチタスクの極みです。

野菜を切ることに熱中していたらフライパンで焼いているものを焦がしちゃった、というようなことはできるだけ避けなければなりません。

今何をしていて、どういう状態で、どの段階で、この次の工程は何で、同時に何をしているか、とてもパースペクティブに把握、処理する能力が求められると同時に指を嫌いないようになどこまかな箇所への集中も同時に求められます。

また、特に私が苦手なのは調理に使ったもの、食べたものの片付けです。散らかったものを散らかったままにしておいてしまうことがよくあります。

 

と、言いながらなんですが、私は最近料理にはまっています。

最近というのもここ数日ではなくこの一ヶ月間、ほぼ毎日一汁三菜、朝晩作り続けました。また、余裕があるときにはお弁当も作って大学へ通っていました。

というのも、私は昨年まで食堂で三食済ましていたのですが、今年度から食堂に行くことをやめたので、自炊せざるを得なくなってしまったのです。

ただ、お昼ご飯はお弁当をやり始めるまでは学食かおにぎりしか選択肢がなかったので三食全部というわけにはいかなかったですが。

 

では、ここからが情報です。

どのような工夫で自炊を可能にしているか、ということを説明します。

key wordは

・ゆっくりとステップアップ

・逃げれる道を作っておく。

・別の角度で楽しむ。

・人の力をかりる。

の四つです。

 

まずゆっくりとステップアップについて。

あなたが達成したい内容をLv.100だとしましょう。

では、それを4〜5つのステップに分けて考えてみましょう。

その時、クリアするべきハードルを一つづつ明確に考えました。

 

僕の場合達成したいステップはシンプルに自分で作って自分で食べるでした。

これを4つのステップに分けると

Lv.20はサトウのご飯を缶詰で食べる、

Lv.40はCook Doのようなもので作って、紙皿で食べる+ご飯を炊く

Lv.60はCook Doで作ってお皿で食べる

Lv.80はメインを一から作って、野菜など副菜はフジッコなどに頼る。

Lv.100は一汁三菜全てを自炊する(味噌汁以外)

 

まず最初のステップはとにかく家で食べ、机の上を片付ける、ということが目的のステップでした。

一切自炊らしくないかもしれないですが、とにかくこの段階から始めました。

机で食べて、そのゴミを捨てる。

そして曜日にはゴミを捨てれるか。

この辺りが僕にとっては不安だったので。

 

次のステップはCook Doです。

洗い物に関しては不安だったので、とにかくお皿を捨てるだけにしてその部分の不安を解消しようとしました。

ただ、フライパンをどうせ洗うのであまり変わらないかと思ってすぐに次のステップへ。

 

次はお皿洗いが出てきました。ただ、フライパンを洗うことは別に出来ていたので、そのついで、という感じでした。

お皿洗いを忘れてしまうという難しさもありましたが、寝る前に台所を確認して洗い物がないようにして寝るように心がけました。

この期間は1週間ほど続けました。

 

次はメインを作る工程です。

ここからは冷蔵庫の在庫管理という問題も出てきます。何が冷蔵庫にはあるか、何をいつまでに食べないとまずいかなどを頭のどこかで考えられることが望ましかったのでしたのですが、やっぱり少し難しいですね。

でも、メインだけなので野菜などがほとんどなく、肉や豆腐などの大きなものばかりなので割と管理がしやすかったです。

あと、残り物が出ないように、例えば四人前作って3つは冷凍するなどのようになるべく一回の料理で使い切るように工夫しました。

 

そして最後の段階です。完全な自炊。

何も頼らずにできる限りやろうと思って料理をしています。作り置きなども考えて、タッパーなども駆使しながら食べ物を作って食べています。

 

 

つぎのkey wordは逃げれる道です。

今の話とも関連するのですが、しんどかったり忙しかったり気分が乗らない時などは無理せず、前の段階へ躊躇なく戻ることです。

一つ前の段階に戻ることは当然必要なことで、毎日同じ体力やモチベーションがあるなんていうのはありえないわけなので、それに見合った行動、その範囲内で出来る行動をする必要があります。

なので、私は今でもフジッコのお豆さん、Cook Do、サトウのご飯と缶詰、などを準備していつでも一つ前のステップに戻れるようにしています。

そして、実際に頻繁に戻っています。

これは継続のためには本当に必要な心構えだな、と痛感しています。

 

 

次は、別の角で楽しむ、です。

別の角度、例えばお金、栄養、時間、味などです。

より安く料理を作ろう、

より栄養のあるように料理を作ろう、

より短い時間で料理ができないか、

より美味しく作れないか。

 

こういった、「料理を作る」こと自体の楽しみではない、別の角度からの楽しみを用意しておきます。言い換えるなら、ゲーム化するわけです。

すると、ゲームを続けるためには料理を作るわけで、結果として目的を達成できるのです。

また、ADHDの人は探求することが好きな人が多いと思うので、より探求するように繰り返しているといつのまにか料理が日常になっているのではないかと思います。

 

 

そして最後の「友人」です。

私は友人が週に一度私の料理を食べに遊びに来てくれます。

これが料理のモチベーションになっています。

また、友人が片付けを手伝ってくれたり、情報をくれたり、美味しいと言ってくれたりするので、やる気も継続する気も湧いてきます。

 

 

とにかく、自炊をするためには、高いハードルではなく、低いハードルで慣れることと頑張ったリアクションを他人から得ようとすることが大事なんじゃないかな、と思います。

マルチタスクについては、どうしようもないのでがんばるしかないです。

僕はコンロが一つしかないので、料理するには不便ですがマルチタスク的には良かったかな、とも思っています。

ADHDと完璧主義

ADHDの特徴なのかどうなのかわかりませんが、

僕は自分自身について少なくとも完璧主義だと思うところがあります。

 

レポートなんかでも、

自分的に完璧じゃなければ出さない、

未完成なら出さない、

不必要に凝り過ぎてしまう。

 

結果、提出できずに減点される、

何かミスがあると一気にやる気がなくなる、などの問題が出てきます。

 

 

不必要に自分の首を絞める結果になってしまいます。

 

なんでなんでしょうかね?

 

 

そもそも、僕の場合、

課題を認識するのが遅い、

課題に対して計画を立てることが難しい、

後でやろうを忘れてしまう、

などなど、完璧主義を貫くには困難すぎる特性があるため、

そもそも完璧主義に向いていないんだとはつくづく感じます。

 

 

 

最近は、2回に一回、完璧を目指そうと言い聞かせています。

完璧か、出すことにしか意味がないようなレポートか。

それがうまくいっているのかと言われればなんともわからないんですが…。

まあ、多少はマシな気がします。

 

では、また明日?

ADHDの人がいる。

僕の後輩にADHDを疑われる人がいます。

 

部屋の片付けができない、

朝起きれない、

こだわりが強い、

じっとしてられない、

衝動的な行動や発言をしてしまう。

 

 

こんな特徴があります。

 

一度、彼女に精神科への診療を進めたことがあります。

 

すこし楽になる、薬をもらえると楽になることがある、

自分についてよくわかって、対処ができるようになる、

学校に正式に支援を要請することができるなど、

僕は診療があってよかったことが幾つかあったので、

そういったことを彼女に紹介しました。

 

しかし、彼女には

うまくできないのは私が堕落した人だからだ、

と言われてしまい、なかなかうまく言葉を返すことができませんでした。

 

「障害」という言葉に対する重さや嫌悪感もあると思います。

僕も、実際親への得も言われぬ申し訳なさや悲しさ、烙印を押されるような怖さを感じたました。

でも、できないことが僕の努力を超えてできないことだとわかることは、多少ならず有益なことだったと思います。

 

上のように言うと言い訳のように聞こえるかもしれません。

でもそれは決して逃げではないと思うんです。

 

孫子が言ったように

「彼を知り、己を知れば百戦殆うからず」

己を知ることから始める必要があると思っています。

 

 

また、こういう障害に人はこういう人だ!

その人の全側面に対してそういう型をはめてしまいがちですが、

当然そんなわけはないわけなんですが、

ともかく、自分自身に対してさえもそういう過ちを犯していると感じてしまいます。

 

 

なんというか、うまくまとまらないんですが、

ともかく僕の悩みとしては、

彼女は授業に行けておらず、それをなんとかサポートというか、楽になってほしいな、と思っているんですがその方法がわからないってことです。

病院に連れて行くことも、診断をすることもゆういつの解決だとは思っていませんが、解決への一つの道だとは思っているので、なんとか、こう、そうやって彼女に対して有益な助言を似た人としてできれば、と思います。

 

では、また明日? 

ADHDって言えば許される?

お久しぶりです。

 

この間、学校の校外学習というのか、実習というのか、、、で

僕の注意の不足による遅刻で大きな失敗をしてしまいました。

怒られましたし、反省もしています。

いつも思うんですが、そしてうまく表現できませんが、

ADHDって言えば許してもらえるわけでも、

特別扱いしてもらえるではないですよね。

 

では、果たして理解をしてもらう、とは

一体どういうことなのでしょうか。

 

この部分が僕がいつも支援を願いつつも

迷ったり、葛藤したりしてしまう点です。

 

具体的に何がしてほしいのか。

ADHDを理由に許してほしいのか、

ADHDを理由として特別な扱い、

例えば遅刻をしても許されるようにてほしいのか、

僕だけ遅刻を評価の対象から外してほしいのか。。。

 

どれも正直しっくりと来ません。

 

そこで僕はいつも同じところに行き着きます。

 

ADHDのない僕とADHDのある僕の差分」

これが配慮されるべき部分の上限だという考えです。

これとほぼ等値な配慮が適当な配慮だと思います。

 

これはもしも論ですし、実際にこの加減を知ることはできません。

それに、僕がどれだけ頑張っているのか、定量的に評価することも出来ません。

よって適当な配慮を求めることは不可能だという考え、と言い換えてもいいでしょう。

 

 

じゃあどうしましょうか?

 

結局ここが埋まらないんです。

 

でも、今思えることも幾つかあります。

許してほしいわけではないです。

親身に叱ってくれるのは本当に嬉しいです。

ただ、ADHDによる要素で僕の評価をカケルゼロ(×0)してほしくないんです。

評価対象として、ADHDによらない部分に着目して評価してほしいんです。

僕の能力と、僕の不注意、遅刻癖とを別の評価基準で評価してほしいんです。

遅刻癖によって評価が0になることもわかります。

一般の評価基準だとそれが正当な評価だと思います。

 

でも、極端な例ですが、目が見えない人に対して、

「目が見えないから君の全体の評価は0ね」

というようなことはしないですよね。

目は見えないけど、これもできるんだね、こんな能力があるんだね。

と別軸で評価しますよね。

この別軸がさっき僕が書いた

ADHDのない僕とADHDのある僕の差分」

の近似なんじゃないかな、と思います。

 

まだまだまとまっていませんし、

これをどう配慮願いとして反映させるのかも難しい点ですが、

いまADHDに関係されている方、ADHDの方は、

こんな考えの人がいるんだ程度で思ってもらえると嬉しいです。

 

では。