ADHDと言い訳
ADHDだというと、世の中の一定数の人は言い訳だと言います。
僕もよく言われますし、そうだと思って悩んだこともあります。
でも、本当に言い訳なんでしょうか?
確かに、ADHDの人が困っていることは多くの人にとっても
多少は困難を伴うもので、彼らも努力をしているので、
僕たちのことを努力が足りないんだと思ってしまうわけです。
仕方ないですよね。
また、ADHDの場合は他人とちょっとズレてると思われたとしても、
基本的には社会的関係性を色々な人と構築できるので、
一般人としての(=なんの支援も必要としていない人の)
仮面を被って生活していると言う表現もできるかもしれません。
でも、努力だけで改善できるほどの軽度ではないのが問題なのです。
要は程度の問題です。
メガネをかけている人は障害者ではないですが、
メガネをかけても見ることが難しければ障害者になるように
努力で改善しようとしても改善しきれなければ障害になるわけです。
もちろん工夫や支援によって乗り越えられる障害であることは認めますし、
努力を全くしない、努力を要求されても障害だからといえば免罪符になるわけではないですが、
努力を認め、配慮や支援、協力をしてもらえると理想的な形ですね。
僕がよく使う例として、陸上があります。
ステレオタイプに依存した、あまり根拠のないよくない例えなのですが、
まぁ直感的かな、と思うので紹介します。
黒人や白人と日本人では100m走で日本人が勝つことは稀ですよね。
オリンピックなどで。
でも、黒人や白人よりも日本人が努力していなかったかというと、
おそらくそうではないでしょう。
日本人は黒人や白人よりも練習したと思います。
でも、勝てないですよね。
そんな時、黒人や白人の人から「努力が足りねぇんじゃねぇの?」
と言われてしまったとしましょう。
確かに努力で多少は改善し早くなるでしょうが、
根本的に、骨格からしても違うわけで、
努力だけで解決できる問題ではないと言うことです。
でも、もちろん同じ条件立場で戦わないわけにはいかないので
全力を出しても負けてしまうし、彼らに勝つには生まれ変わるしかないとぼんやりと頭の中で思い感じるわけです。
そんな気分になることが僕にはよくありますが、
幸いなことにこの世は100m走とは違い支援が受けられます。
ちょっとしたハンデとでもいいましょうか。
それで、僕は生まれ変わらなくても競争に参加できるようになるわけです。
と言うことで、ADHDに悩んでる人がADHDのせいにしてしまっている自分に気づいて、
そんなのただの言い訳だよ。もっと頑張らなくちゃ。
と言い聞かせているのであれば、それだけが方法ではないと言うことを知ってほしいなと思いました。
またこれについては他のエピソードも含めてまた書きますね。
ではまた明日?