神のみぞ知るカニの味噌汁

ADHDの僕のみぞ知る世界。

ADHDと人間関係

人間関係って難しいですよね。僕も、よく悩みます。

僕の場合、理解されないというか、得体のしれなさみたいなものからクラスメイトに気持ち悪がられることがあります。僕だって、普通にしたいんだけど、周りから見たらただただよくわからないやつになってしまうのもよくわかります。

では、どうしたらいいんでしょう?

 

 

はっきりいいましょう。

諦めましょう。

正確に言うと、完全に理解してもらうことを諦めましょう。

僕の築いてきた人間関係的にも、完全に理解してもらうことはおよそ不可能です。支援の勉強をしている人とかじゃないと無理です。それでも正直難しいと思います。

しかも、支援者などではなく、ただ単なる友人にそれを求めることは不可能に近いです人間的に馬が合わなければいけませんし、興味の対象も近くないといけません。それに、そもそも出会わなければなりませんし、のみならず友人になるにはそれなりの強度で関わらなければなりません。これは、不可能に近いと思いますし、そんな人に出会うことを求めていては逆に友人というニュートラルな、両者どちらにも負い目を感じない関係は期待できません。であれば、方法は二つです。すでにいる友人に理解してもらうか、逆に理解しきれなくてもいいと思える人を友とするかです。例えば、極端に言えば結婚相手みたいなのだと友人に理科してもらうパターンがいいと思いますし、ワイワイと楽しくやる友達であれば後者がいいと思います。

僕が独特の思考回路で話してしまっても、「彼の中で納得できているならいいや」程度の理解をしてくれる人が友人であれば楽です。わからないことを気持ち悪がらないって、ある意味スキルです。理解できないことを理解しようとしない。人間の数だけ謎がある。その謎は謎のままでいい。そう思える人は意外と世の中にはいるんじゃないかなと思いますし、友人の中でそういう人がいるのであれば、その人は宝だと思います。

例えば親でも子供の全てが理解できないと感じることがあるかもしれません。でも、そりゃそうでしょ。子供的には理解できていれば、それで原則いいとおもいます。勉強とかに関する間違った理解は困るかもしれませんが…。多分、自分自身の中の世界観はいつまでたっても共有できないんだと思います。

それは諦めです。理解してもらうことを諦めてでも、生きやすいことを選ぶということです。もちろん、友人に理解を求めることの大切さも十分に感じていますし、それについてはまた今後書くかもしれません。似たような話ならADHDと告白についてを参照してもらえればと思います。それはそれでそれなりの難しさがあるものなのです。

 

では、また明日?