神のみぞ知るカニの味噌汁

ADHDの僕のみぞ知る世界。

ADHDとできないこと。

ADHDが理由でできないこと、やめたたこと、諦めたことが幾つかあります。

そのすべてを今は書き尽くすことはできませんが、思いつく幾つかをピックアップして書いてみます。

 

 

1ー普通の人としての評価を求めること

これは、すこしシビアな話になりますが、普通の人としての評価を求めると、どうしても評価が低くなってしまうなーと常々感じていました。その、僕の得体の知れなさが彼らにとってマイナスポイントになってしまうんだろうな、と思います。でも、それは普通の人としての評価のグラフ上での話なので、そのグラフでの高評価を僕が期待せず、ある意味諦めることですこし楽になりました。僕は僕だし、普通の人としての評価ではなく、人としての評価を求めようと。

これは、表現し辛いんですが、例えばテレビを通してとある建築家のドキュメントがあったとして、その建築家の評価は建築によって決まる訳です。かれは普通の人の「普通の人」性の尺度はどうでもいい次元の「人としての評価」を得ている訳です。僕は、ここを目指そうと。ここを目指している過程なんだと自分に言い聞かせ、そこに向けてすこしずつでも近づいていければと思っています。

 

2ーCDを使うこと

急に現実的な話になって申し訳ないです。

実は、ずっとしていたんですが、下宿に来てからやめました。CDの管理ができないのが理由です。CDは意外と難しくてケース、歌詞カード、CDがセットになっていないといけませんが、その片付けや管理、収納は僕にとってはとても難しいことでした。実家の自分の部屋のCDケースには、もうたくさんの裸のままで出しっぱなしになって音が飛ぶCDがいっぱいできています。作った人に本当に心から申し訳ないと思います。

そして、兄弟や親にCDを借りてもダメにしてしまうので、家族でも貸してくれないか、あるいは焼いたものを貸してくれるようになりました。まぁ、そりゃそうですよね。

本当に片付けられないので、下宿に来てからはしていません。でも、正直CDプレイヤーもCDも好きだし聴きたいんですが…。

でも、パソコンやスマートフォンに音楽を入れることはできるので、特にウォークマンなんかは欲しいな、というか、あればCDは実家にさえあれば下宿にはいいのかな、と思います。といっても僕はウォークマンも持ってませんし、スマートフォンに音楽を入れてもないですが、欲しいな、とは思います。

 

 

3ーお金が余計にかかること

これは、僕がものをよく無くすことに起因しています。

例えば僕は教科書をなんども無くしているので、その度に数千円の教科書やらなんやらを買い直しています。なので、ある教科の本はなんと3冊もあります。二回無くして後で全部出てきたってことです。この時に大切だな、と思ったのは諦めることです。

教科書がない状態を継続させるのではなく、「あ、またやっちゃったなー」程度に構えて問題の教科書のない状態を1日でも少なくすることに全力を尽くすべきです。ADHDの人は余計にお金がかかるものなんだ、と割り切ってしまえばくよくよ悩まずに最善をつくすことができるので。

ただ、その分どこかでちゃんとしめるところはしめないとお金は有限ということを忘れないことも大切ですが。

 

 

 

 

結論として、何が言いたいのかというと、

諦めることは大切です。

ということです。

 

 

ただ、単に諦めるのではないことは注意が必要で、

諦めた結果をどうリカバリーするのかに全力を尽くす

ということです。

 

例えばノートが書けない、とれない。

そのことはさっさと諦めましょう。

でも、ADHDの人の得意分野、アイディアの分野では負けられないでしょう?

ノートが書けなくても大丈夫な方法を考える。

そこに全力を尽くす訳です。

例えば板書を書かれるたびに写真を撮るとか、毎回友達のノートをコピーするとか、いろいろな方法があるはずです。

その部分に全力を尽くしていくことがより労力を有効に活用できるんじゃないかな、と思います。

 

 

では、また明日?