ADHDって言えば許される?
お久しぶりです。
この間、学校の校外学習というのか、実習というのか、、、で
僕の注意の不足による遅刻で大きな失敗をしてしまいました。
怒られましたし、反省もしています。
いつも思うんですが、そしてうまく表現できませんが、
ADHDって言えば許してもらえるわけでも、
特別扱いしてもらえるではないですよね。
では、果たして理解をしてもらう、とは
一体どういうことなのでしょうか。
この部分が僕がいつも支援を願いつつも
迷ったり、葛藤したりしてしまう点です。
具体的に何がしてほしいのか。
ADHDを理由に許してほしいのか、
ADHDを理由として特別な扱い、
例えば遅刻をしても許されるようにてほしいのか、
僕だけ遅刻を評価の対象から外してほしいのか。。。
どれも正直しっくりと来ません。
そこで僕はいつも同じところに行き着きます。
これが配慮されるべき部分の上限だという考えです。
これとほぼ等値な配慮が適当な配慮だと思います。
これはもしも論ですし、実際にこの加減を知ることはできません。
それに、僕がどれだけ頑張っているのか、定量的に評価することも出来ません。
よって適当な配慮を求めることは不可能だという考え、と言い換えてもいいでしょう。
じゃあどうしましょうか?
結局ここが埋まらないんです。
でも、今思えることも幾つかあります。
許してほしいわけではないです。
親身に叱ってくれるのは本当に嬉しいです。
ただ、ADHDによる要素で僕の評価をカケルゼロ(×0)してほしくないんです。
評価対象として、ADHDによらない部分に着目して評価してほしいんです。
僕の能力と、僕の不注意、遅刻癖とを別の評価基準で評価してほしいんです。
遅刻癖によって評価が0になることもわかります。
一般の評価基準だとそれが正当な評価だと思います。
でも、極端な例ですが、目が見えない人に対して、
「目が見えないから君の全体の評価は0ね」
というようなことはしないですよね。
目は見えないけど、これもできるんだね、こんな能力があるんだね。
と別軸で評価しますよね。
この別軸がさっき僕が書いた
の近似なんじゃないかな、と思います。
まだまだまとまっていませんし、
これをどう配慮願いとして反映させるのかも難しい点ですが、
こんな考えの人がいるんだ程度で思ってもらえると嬉しいです。
では。