神のみぞ知るカニの味噌汁

ADHDの僕のみぞ知る世界。

安定

最近は、少しずつ安定してきました。

 

特に楽になったり、しんどくなったりもすることもない、安定した状態が続いています。ある意味では僕らしい僕として振舞えているのかな、とも思います。

しんどい時期が長く続きましたが、時々はとっても楽になるときもありました。しんどい時期は本当にご飯も食べれず、睡眠もなかなかうまく眠れずに、人と話しても笑顔でごまかしきれていない疲労をにじませたものでした。また、楽になったときは本当に、麻薬でも打ったのかと思われるほどこの世界がハッピーで、しんどいことなんてまるでなかったかのような、そんな状態でした。帰り道でオーシャンゼリゼが歌いたくなるような、本当にさっきまでしんどそうにしていた人と同じ人ではないように見えたかもしれませんし、心配して損したと思わせていたかもしれません。しかし、それは今思うと不安定だったということのようです。

下手くそなたとではありますが、水に浮かぶボールが水の中に沈むと、勢い良く水の外へと飛び出します。そしてまた水に沈んで、また飛び出して、、、、というようなことを繰り返してやがてどこかで安定するように、僕もまた、しんどくなったり楽になったりを繰り返して自分にとってちょうど良いところをずっと探していたんでしょう。そして、梅雨の頃の風のような、あまりさっぱりもしていないけれど、不気味さもない、そんな本来の自分が戻ってきたのかな、と思います。

思えば、僕が大学に編入学したとき(実は元高専生なんです。)、僕は大学で頑張ろうとしすぎていたようです。勉強は予習復習は当たり前、部屋は常に綺麗で、授業中寝るのはありえない、人間関係はとにかく幅広く、深く、できることややりたいことはすべてやって、かつ大学院のための勉強も頑張る。

そんなん、無理にきまってるやん。

で、最終的には無理だったんですが、頑張っていたんです。途中までは頑張れていたんですが、いろいろと物事が進むにつれて、やっぱり手が回らなくなっていく、どんどんと発散していく、僕自身が疲れてくる、何をやるべきなのか整理ができていないので混乱してスケジュールややるべきことを管理できなくなっていく。そんな状態だったので人間関係もうまくいかず、疲れもあり、精神的に滅入ってしまっていたようです。

そこで、これからはやるべきことを選択して、一番頑張らない方法で、どうでもいい部分はどうでもいいと切り捨てて、最低限頑張らないといけない分を頑張ろうと思います。

 

ただ、今回の経験が悪い経験だったかというとそうではなくて、面白い発見やパターンなんかも幾つかあって、それはとてもいい経験というか、しんどかったですが勉強になったなと思います。

例えば、しんどい人の気持ちがわかる。できないときは本当にできない。根本的な解決をしたほうが応急処置的なものを施すよりも大切だし、できないことを責めることは本当に時間を3倍無駄にする。

二つ目は、僕がそうなりがちだということ。むかしから多かれ少なかれ、こういった状態にはなっていたようです。頑張りすぎてしまうのも、案外悪い癖なのかもしれませんね。

3つ目は依存することの大切さ。依存することは悪いことだと思ってきましたが、今回の経験でそれは違うということがわかりました。依存は、できるだけ多くの人にできるだけ少ない依存をするのが良い。これにつきます。僕の場合、後輩や先生、先輩、カウンセラー、親などに話すことで今回の局面を抜け出しました。できるだけ多くの人に、できるだけ少なく依存するんです。「依存する」んだ、と思って、思いっきり心身を預ければ、多くの人がその人にとって負担がない範囲で助けてくれます。それは、恋人や親などの強い関係の人「だけ」に依存するのとは本当に大きな違いがあるな、と思います。

 

そんなこんなで、僕はいい具合に元気です。

 

ではまた明日?

 

混乱

おひさしぶりです。

前回、うまくいっていないことをつらつらと書きましたが、それに関して精神が地面に突き刺さるほど良くない状態になっています。一瞬は楽になったんですが、ほんとメンタルのコントロールは難しいです。

今日は凹みすぎて授業どころではなく、ご飯を食べるのに2時間近くかかってしまうと言うことになってしまって、自分でも驚いています。加えて、自傷的行動、衝動的行動もみられたので、注意が必要です。

僕の場合自傷的行動は頭の頭皮に爪を立てることが多い気がします。あと頭を殴ったり引っ掻いたり。まあ、今の所その瞬間が痛いだけなので問題ないんですが、今後続くと血が出たり、腫れたりもするかな、と思うので、気をつけたいです。衝動的行動はペットボトルを床に叩きつけるなどでした。むかしはもっと人的被害があるものでしたが、最近は成長してものに当たるようになりました。自分のもので、問題があまりないものですね。そういう意味では衝動というか、単にものに当たって発散してる程度にはコントロールできているのかもしれませんね。

なんか、精神的にしんどいときは嘔吐がしたくなります。比喩的な嘔吐。何も考えたくない!といって頭の中のものを全てトイレに流してしまいたいです。それができたらどんなに楽なんだろう、と思います。そして、そのようにして後輩や先生などにだーーーっと喋りますが、結局嘔吐と違って理性が働くので本当に気持ち悪いものは出てこないんですよね。嘔吐という表現がいいのか、イメージしやすいなと思うのは千と千尋の神隠しの「よきかな」の神様の泥がだーーーーっとなるシーンですね。

 

 

あー、しんどい。。。

 

では、また明日?

相性。

うまくいってないです。うまくいっていない。

まず、やるべきことを認識できていない、スケジュールを把握できていない。

あと、それに起因して人間関係が良くない感じです。

やるべきことを認識しないと、計画も立てれないし、見えない(見えていない)ものに急に肩を叩かれそうでいつもビクビクしています。さながらお化け屋敷です。これほんと。そんなお化け屋敷の中にいる状態で他の人とうまく関われていないな、と感じます。いつも目の前のことで精一杯で少し先のことになると途端に不明瞭な世界になってしまいます。

そんななか、学校の授業の班活動で僕がリーダーになってしまったんですが、正直マネジメントできていないな、と強く感じます。5人班で一人来ていないので実質4人班なんですが、そのうちの一人と決定的に相性が良くない感じです。

例えるなら彼は野球型、僕はサッカー型といったところでしょうか。

野球って、個人プレーの連続でチームプレーじゃないですか。特に打撃とかを考えるとわかりやすいかなと思うんですが、3番の人が打席に立っていたら他のみんなは応援しかできませんし、三振しそうだから助けようなんて考えはないです。個対個の戦いです。また、野球はその瞬間瞬間で監督からの指示を受け取れます。ボールが一球来るたびに監督が指示を出すことができるんです。それに、役割が明確で原則として変化しません。なんとなく、デジタルな感じがします。良くわかんないですけど笑。そして、とても静的なシステムです。

一方サッカーはどうでしょうか。サッカーは個人プレーはありますが、その連続とは言えません。一つのボールに影響力の大きい小さいはあれど、すべての人が影響し合っています。誰かがボールを奪われそうになったらフォローに行ったり、パスを求めたり、いろいろな助けができます。また、そのすべては個人の判断です。もちろん監督の意向や多少の指示があっても、その瞬間どうするのかを判断、決定するのはプレイヤーです。かつ、プレーは連続していますし、役割も流動的です。ディフェンスが場合によっては最前線で得点を狙うこともあれば、フォワードだって守備をします。そういう意味ではアナログで、動的なシステムだと言えると思います。

これを実際の作業で具体的に示してみるとどうでしょうか。順番は前後しますが、まずサッカーの方からみてみましょう。

まず、役割が流動的です。その瞬間、その状況において何が必要か、どこに人員を割くべきかは瞬間瞬間で変化、変更されます。試合終了間際の守ってる時は11人全員で守ったりするし、攻める時は攻めに多くの人数を割くし、サイドバックはディフェンスなのに前線へかけ上がるようになります。

また、判断を下すのは自分です。監督は過去のことについて指摘はできても、具体的な未来に対しては選手に直接指示を出すことはできません。一人一人がその意向に従って、役割を見つけ、自分自身で判断、決定して行動する。そしてそれを周りの人はサポートする。そういった関係です。監督は試合後選手に「あの時なぜああしたのか」を尋ねます。何を考えてああいったプレーをしたのかを問えます。また、個人プレーもありますが、原則としてチームプレーが根底です。パスのないサッカーはほぼありえないので。もちろんあいつのミスで失点したということはあるかもしれませんが、それはボールを奪われた人も、ディフェンスもキーパーもそれぞれ責任を分配しますし、自分のやるべきことだけやっておけばいい、なんて状態はありえないとも言えます。だって、そこには自分にも責任が原則分配されてしまうので。

 

一方で野球型をみてみると、役割が固定的です。試合中に4番が8番になったりすることは原則ないですし、ショートがファーストになることもないです。試合の開始まえに決まったら基本的には役割の変更はされないです。また、場面場面でくぎられているので、監督の指示がいちいち見え、それに従うだけです。自分で考えることも大切ですが、監督の指示を確実に再現できるかと言うことが重要な評価基準です。それは、「なぜそうしたのか」ではなく「なぜできたのか、できなかったのか」が問題になります。なぜなら「なぜそうしたのか」は監督に従ったから、に決まってますから。また、個人プレーの連続なので、責任は個人に収束しがちです。ショートのエラーがファーストには責任はないように、責任の範囲が固定されていてその範囲外の人がどうであろうとも自身には責任は分配されないと言えます。つまり、ここまでが僕の範囲と決まったのであれば、それだけを黙々と遂行しそれ以外の人のプレーがどうであろうとも自分の貢献をアピールできます。加えて、手助けはあまりされません。だって、バッターボックスにいない人は手の出しようがないので。

 

どちらの考えも一長一短あると思います。サッカー型だと、役割が変わるのでややこしくなることもあるでしょうし、野球型だとその瞬間の最適な行動は取りづらいかな、と思います。

そして、この二つのタイプが一つの班にいた時に、お互いがとてもやりにくくなってしまうのかな、と思います。まさに相性といいますか。サッカー型の人がリーダーだと、システムや役割はその瞬間瞬間でかわりますし、考えはいつも「チームにとって最適かどうか」で判断され、個人の評価や責任は互いに関係し合っていると言えます。一方野球型の人がリーダーだと役割が固定的になってわかりやすくなる一方で臨機応変さがなくなり自己責任論的になってしまいます。

 

この二つを考えると僕は明確にサッカー型ですし、同じ班の彼は完全に野球型の人間です。そういえば野球やってたって言ってたなぁ。僕もサッカーやってたし。

その二人がとても今うまくいっていなくて毎日毎日胃が痛いです。べつに彼の考えはわかるんですけど、ね…。

 

と、いうわけで相性についてすこしかんがえたので、まとめてみました!

どうだったでしょうか。

 

では、またあした?

 

睡眠。

ちょっと、ブログの形式を変えていこうと思います。ネタ切れ気味というか、ないものをひねり出している感じでしんどく感じたので。ADHDであることは関係しますが、それよりも、ADHDのある一人の男子大学生という側面を表現しようかなーと今のところはとりあえず思っています。

といっても、定期的に購読してくれている人なんていないと思うのでなにも問題ないと思いますが。

 

僕はいま、眠いです。端的に言って、眠いです。でも、いまなにが欲しいかというとご飯です。晩ご飯にありつけていないです。お腹減っています。

僕の苦手な書類管理、書類作成、書類整理の作業が延々とやっていました。昼過ぎに授業が終わって、その後作業を手伝ってもらいながらして、一旦完成したと思ったら完成していなくって、そしてその直しとかをやっていたらもう11時前ですよ。

11時間ほど前はあんなに真上にあった太陽はおそらく僕の足の裏のはるか先にあることでしょう。よく頑張った。よく頑張ったぞ。僕。

でも、家のインターネットの環境が壊れていて学校からしかこの記事が書けないという僕の悲劇的な現状。これを書いて、後少し頑張ったら帰ります。帰りたい。

布団が僕を呼んでいる…。

 

この頃あんまりうまく寝れてないんですよね。

風呂も入らずに、疲れ果てて倒れるようにして気付けば朝、電気つけっぱなし。良くない。非常に良くないですが、こんなのが1週間ほど続いています。うん、やっぱり良くない。今日こそは幸せな眠りを手に入れたいです。

面談してもらっている先生曰く、過活動的になりすぎていて疲れてしまっているようです。別になにも頑張っているつもりはないんですがね。というか、頑張れていないと日々思いながらも空回りしているだけで行動には全く移せていなくてもどかしい限りです。

 

では、また明日?

ADHDと人間関係

人間関係って難しいですよね。僕も、よく悩みます。

僕の場合、理解されないというか、得体のしれなさみたいなものからクラスメイトに気持ち悪がられることがあります。僕だって、普通にしたいんだけど、周りから見たらただただよくわからないやつになってしまうのもよくわかります。

では、どうしたらいいんでしょう?

 

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ADHDと学校について。

ADHDと学校は正直相性が悪いと思います。

僕は今大学生ですが、授業中ずっと座っていることが時々とても難しいです。

いや、座ってられるんですが、なかなかしんどいです。

 

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