神のみぞ知るカニの味噌汁

ADHDの僕のみぞ知る世界。

ADHDと学校について。小学校編

ADHDの敵とも言える(かもしれない)、学校制度。

僕は今教育学部に在籍している者として、

そしてADHDの当事者として思うことが多くあります。

 まず、僕の小学校時代について。

 

僕は小学校の時、典型的に席に座れない子供でした。

先生に席に座りなさいといわれても

「ゴホッゴホッ!先生!セキ(咳)には座れません!」

と言っていた記憶があります。

 

今思うとしょーーーーもない駄洒落ですが、まぁ、小学生ですしね。

 

あと、鉛筆を毎週のように1ダース買っていました。

どこに消えるのかわからないのですが、いつもいくつも失くしていました。

鉛筆を噛む癖があって、それが目印みたいな感じもありました。

 

あと、喧嘩ですね。

本当に喧嘩をよくしていました。

図画工作で使う棒で頭を殴ったり、殴られたり…。

ほぼ毎週のように誰かの家に謝りに行ったり、来てもらったり。。。

僕自身はあまり記憶にないですが、そうだったみたいです。

 

あと、怒るとキーーーーッという声(音?)を出していました。

今ではもう出せない音です笑。

 

他人の筆箱を壊したりもしたようで、ある界隈からは熱烈に嫌われていました笑。

 

自分の机よりも、教室の後ろのロッカーの上が落ち着く場所で、

そこで勉強やお絵描きをしていた記憶もあります。

 

あと、学校についても教室に行かず、

職員室で将棋やパズルをしてたのもよく覚えています。

なんで許されていたのか、今となっては謎ですが、

多分小学校3年か4年だったと思います。

授業中抜け出したり、そもそも授業に行かなかったりして、

用務員か事務の方と一緒に将棋をしていました。

職員室の応接スペースだったと思うんですが、そのスペースが大好きでした。

 

でも、本当に大切なのは先生との相性です。

もう少し言い換えると、先生の僕への理解です。

それがあると、僕は頑張れましたし、興味を広げることができました。

 

でも、そうでない先生だと、僕はただの異端者として扱われます。

まぁ、異端者としての要素は揃っていたと言えなくもないのですが…。

 

ただ、異端者として扱うことの罪は、そこのいる生徒に影響力を持っている点です。

周りの生徒は理解できない人を、理解しようとすることがなくなります。

異端者だからという理由で、それ以上のかかわりを避けるようになります。

 

先生が理解しようとしてる人であれば、生徒もそれをフォローします。

なので、必死に理解しようとしてくれ、かかわり方を見出そうとしてくれます。

 

その違いは二次障害に関してとても大きな因子だと思います。

 

 

あと、怪我が多かったです。

今でも残っているいわゆる一生傷が沢山あります。

これは不注意と、運動神経の悪さに起因するものだと思います。

喧嘩が多いのも怪我の理由の一つかもしれませんね。

 

骨折を保育園と小学校の時に計4回?程しています。

明らかに異常な数ですよね笑。

 

 

最後に、記事を通して注意してほしいのは、学年も前後も覚えていないので、

自分の記憶と発達段階とを比較することはできないです。

書いた内容も時系列でもなんでもないので、

6年間のうちにこんなことがあったというだけの情報として扱ってくださいね。

 

 

というわけで長くなりすぎるのもよくないので小学校で終わります。

では、またあした?