神のみぞ知るカニの味噌汁

ADHDの僕のみぞ知る世界。

ADHDと学校について。中学校編

ADHDにとっての受難の時代、中学校。

小学校の時は本人は何も考えていないのでいいのですが、

中学校になると、「普通にできない自分」に気づきます。

 僕が中学校の時の目標は

「当たり前のことを当たり前にする」

でした。

 

忘れ物をしない。当たり前。

遅刻をしない。当たり前。

提出物を出す。当たり前。

ノートを書く。当たり前。

落書きをしない。当たり前。

 

ぼくの目標全てが、他の人にとって当たり前のことなんです。

他の人からすると、何故できないのかわからない。

だって、できるのが当たり前だから。

 

そんな雰囲気の中で、それができない自分。

それを認識せざるをえない、

否が応でも浮いていることがわかる、そんな環境でした。

 

小学校の時はぼくもみんなもいまいち何もわかっていなかったと思います。

少なくともぼくはあまり何もわからずに居ました。

だから、不幸せに気づかず、あるいは忘れつつ、

(そういう意味では幸せだったのかもしれませんが)

中学校ではそうはいきません。

 

自分がみんなと同じようにできないと感じることが多くなり、

自分自身に対して違和感を持つようになりました。

 

みんなとうまくコミュニケーションが取れていない、

という実感もありました。

本当に何かがずれている、という感覚ばかりで、

なにがどうずれているのか、さっぱりわからなかったです。

 

宿題や定期テストなど、管理するべき対象が複雑になっていく中で、

そして周りが順応していく中で、雲に囲まれたかのようにぼんやりとしていました。

ぼんやりとできないことを苦しんでいました。

 

なんでできないのか、できない理由がわからず(正直今でもわかりませんが)

自分が怠惰でダメなんだと思ってました。(ここは今と大きく違います。)

 

そういう観点から見ると、中学校生活はADHDの人にとってみると

普通に憧れるからこそできないギャップがしんどい時期

そう言えるのかもしれません。

 

 

中学校生活でしんどいのはそれだけではありません。

いじめです。

それについてはまたこんど詳しく書くかもしれません。

でも、とりあえず今は簡単に。

 

いじめはクラスや周りに馴染めないことから簡単にターゲットになります。

好かんことを言われたり、くだらないものから笑えないものまでありました。

 

今でも覚えていることがけっこうあります。

体育の時間で、高飛びをしていた時です。多分2年生くらいかな。

ぼくは右側から飛びたくて並んでいたら、

左側の人が待たずに飛んではまた並び飛んではまた飛び、

みんなが左側に並んでぐるぐると回っているのです。

ぼくの後ろに並んでいた人も反対から行きますし、

ぼくには飛ばせまいとしてみんなが団結しているようでした。

 

いつまでたってもぼくは飛べない。

 

みんなは飛んでる。

 

 

ぼくは文句を言いますが、

彼らは文句を楽しみます。

 

言えば言うほど楽しみます。

お互いの行為や発言が過激化します…。

 

 

ぼくはどうすればよかったのか、今でもわからないですが、

多分、そのあとぼくは奴らを追いかけて、

奴らが笑って、ぼくがますます怒って、

結局ぼくが怒られた覚えがあります。

 

先生からするとぼくが授業を壊したように見えていたんでしょう。

 

不当な扱いを受けていると実感したこともなんどもあります。

じつは、そんな思い出がいくつもあります。

体育の授業中だけでも5回ほどキレた覚えがあるので…。

 

その全てがADHDが原因だとは言いませんし、全く思いませんが、

ターゲットになったその理由の一つに馴染めないことがあり、

それがADHDに起因するものだとは思っています。

 

 

(体育の先生の力量不足、管理能力の低さ、理解のなさ、問題意識の低さ、監視、観察能力の低さ、そしていじめていた方々の幼稚さが大前提ですがね!)

 

 

 

でも、それだけではなく、喧嘩になった時に

お互いの力が強くなっているので、衝動的になると怪我をさせてしまう。

そんなこともありました。

 

そんなこんなで、思い出すと精神的にしんどかった中学校時代です。

 

まぁ、しんどいといいつつ、

当時は彼女もできて、なんだかんだで楽しかったのかもしれませんが。

 

でも、やっぱり思い出すと苦いですね。

 

と、いうわけでまた明日?